(英語版)
(アラビア語版)
(目次)
第2章 戦後世界のうねり:
063ゲリラになるか?難民になるか? 彷徨えるパレスチナ人(4/4)

落ち延びたのはPLOという組織だけではない。ヨルダンに避難したパレスチナ人の個人々々も同様である。しかし避難先のヨルダンは貧しく、とても安住の地と言える場所ではなかった。ある者は豊かな生活を求めて更なる移住を目指す。そのころ丁度クウェイトやイラクで石油開発ブームが始まろうとしていた。彼らは出稼ぎ者として産油国に押しかけた。こうしてパレスチナ人の選択肢は二つに分かれた。PLOと行動を共にしてゲリラ戦闘員になるか、さもなくば家族を連れて異国を渡り歩くか、のいずれかであった。
第一次中東戦争(イスラエル独立戦争)でヨルダン川西岸のトゥルカルムからヨルダンに難を逃れた教師のシャティーラ一家と医師のアル・ヤーシン一家は今度も行動を共にして第二次中東戦争(スエズ戦争)が勃発した1956年、クウェイトに移った。豊かな石油収入で国造りを目指すクウェイトは教育と医療に力を入れ高給を餌に多数のアラブ人を招き寄せたからである。
パレスチナ人は二千年の昔のユダヤの民のごとくディアスポラ(離散)の民となった。
(続く)
荒葉 一也
E-mail: Arehakazuya1@gmail.com